「不登校は私にとって必要なことだった」 そう語る教え子の言葉をすべての人に伝えたい【西岡正樹】
人生という道で迷った時に思い出してほしいこと
◾️中学3年生の時、突然歯車が狂い始め不登校になる
ミキの生活は、中学2年生まで順風満帆だった。しかし、3年生で突然歯車が狂い始め、ほぼ1年間は不登校だった。それでもミキには長い間培ってきた力がある。また、家にいても、それなりに勉強はしていたので、高校に無事合格した。環境が変わったことで高校には登校できた。そして無事卒業した。大学に入ったのはいいが、自分が何をしたいのか、決まっていなかった。自身への縛りが緩くなった大学生活は、油断すると瞬く間に時が過ぎる。4年生になっても、やりたいことがはっきりしなかったので就活も考えられない。卒業してから就職のことを考えようかな、それぐらいの気持ちでいた。
大学4年生の時は、スポーツジムの受付でアルバイトをしていた。4年生も終わる頃、今まで気にもかけなかったのに、スポーツジムの隣に「ヨガ教室」があることに気が付いた。ヨガに興味を持ち始めた頃でもあったので、磁石に引き寄せられるように「ヨガ教室」に気持ちが向いた。調べると、そのヨガ教室が社員募集をしていることが分かった。予想外の展開ではあったが、その「ヨガ教室」に就職することができた。
しかし、ミキがヨガに興味を持ち、ヨガ教室に就職した主な動機は「ヨガの動きや瞑想によって精神的に悩んでいる人を癒してあげられるのではないか」ということだった。ところが、ヨガ教室に配属され仕事をしてみると、自分の思いと目の前の現実に大きな隔たりがある。自分の思いに反することを強いられこともあり、ノルマや納得いかない営業には辟易するばかりだった。ヨガについて研修し、資格を取るのに2か月、店舗に立って2か月、計4か月経ったところで、「もういいかな」という思いが強くなったので、辞めることにした。
ヨガに対する面白さや興味は今も変わっていないが、仕事として関わるには苦痛の方が大きい。
次に何をするのか定まっていなかったが、仕事への気持ちは完全に切れた。
小学生の頃、ミキは、ありきたりな言葉かもしれないが、とてもまじめな子どもだった。「誰かに言われるから」とか、また「誰かに認められたい」という外的な要因で動いているというよりも、内的な「そうしなくてはいけない」という内から沸き上がる自分の言葉に従って動いているようなまじめさだったように、私には思えた。
しかし、ミキ自身の振り返りによると、「『そうしなくてはいけない』という気持ちは、外からの期待に応えようとするほうが大きかったんです」と私の思いと異なるものだった。だからこそ、自分はちゃんとやっているのに、ちゃらんぽらんにやっている者を見ると、声をかけずにはいられなかったのかもしれない。私自身もあの頃を振り返って思うのは、「やる時はちゃんとやろうよ」というミキの正義感が強すぎる余り、他から浮いてしまったこともあったのではないだろうか。(それはミキだけの問題ではなく、教師側にも大きな反省点がある)
中学2年生まで、親や教師の期待に応えようというミキの思いは変わらなかった、いや、中学生になると、小学生の頃以上にその思いは強くなり、それはいつしか自分の中で「やらなきゃ、やらなきゃ」という大きなプレッシャーになっていった。ところが、思春期後半(14歳あたりから)に入ると、多くの中学生は「自立」と「他者の期待」の狭間に追い込まれ、不自由さを感じるようになってくる。
50数年前の自分の中学生時代を思い出すと切ない。あの頃は鉄拳制裁もあった時代なので、教師に面と向かって反抗的な態度を取れるのは猛者だけだ。私を含め多くの中学生は、面と向かってなどできない。でも、あらゆる方法で反抗的な行動をとっていた。優等生が裏で煙草を吸うなんてめずらしいことではない。俺は教師たちに従順な生徒じゃないということを仲間に示す儀式でもあったのだが。
ミキはこれまで、親や教師の期待に応えるためにやってきたが、14歳になると己の自立(自律性や自発性)をより意識するようになり、今までの自分ではいられなくなったのだ。親や教師に対する気持ちが変わり、ただ困惑している自分がいた。しかし、親や教師の戸惑いは、それ以上だったのかもしれない。